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Author:アバヤ
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★インド中央政府公認ヨーガ・セラピスト                   ★インド中央政府公認ヨーガ教師            ★日本ヨーガ療法学会ヨーガ療      法士                 ★NPO法人国際ヨガ協会 教育本部師範代               ★NPO法人国際ヨガ協会北京都支部摩耶学園学園長        ★バッチフラワーレメディ・セラピスト                   ★バッチ国際登録プラクティショナー                    ★アーユルヴェーダ・セラピスト

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ここのところ、また新たな感覚で自分を探っている。
一部のヨガクラスの方には参考にお話したのですが、

特定の環境の時に、
その後にすごくヘコむことに気づいて
放っておくにはもったいないチャンス思って、
こころの反応としては
めちゃめちゃ気持ち悪い感覚を捉え続けて
それが何かを探った 最近の話。

たいがい、どんな場合でも
自分を欺いているから起こるわけです。
どんな方向にしてもです。

自分といっても
無自覚であろう本来の自分
それを魂と呼ぶ人もいるけれど
その素直な方向性や在り方からズレている場合に起こる。

今回気づいたのは、
私の場合は放っておいても
普通で充分に性別感覚に囚われないバランスなのに
周りを気にして、
昔の仲間との集まりの中に
夫も私もいるゆえに
意識して何か自分をとりつくろい続けていたのではないかと気づいた。

その点夫はそのままなのです。
私のオリジナリティーが
世間で言う女性らしさでなく
非常に発想が男性的で、この人の性格としては
とても男性的なのではないか と夫は私の事を承知していて
別にそれを
本来の意味での女性らしさ、人間としてのやさしさと
相反するものではないとわかってもいるようだし、
それをふまえても
自分は普通に私と接していられるのかもしれない。
他の人がいようがいまいが。

というか、
仕事仲間だったときから。

私も本来そうなのに
何か自分たちの感覚って他人からはわかりにくいものなのだろうと
思うがあまり、
それをどこかで誤解されたくないと とても昔からの仲間に
希望しているゆえなのか
「自然」で「素直」なラインよりは
針がふれていたのだろう。

気持ち悪い。
何か気張っている感覚。
無理している。
そして自分を欺いている。
結局それはウソつき。
素直でない。
そんなの結果的に自分を大事にできていないこと。

あぁ・・・
この環境でのこの反応については
今まで気づいてなかったなぁ と思った。

自分を知るというのは
玉ねぎの皮むきのように
少しずつはがれていき

以前より少し、以前より少しと
だんだん必ず変化していく。
だから、癖として同じような反応をいつも見つめて発見したにしても
以前よりまた
より見晴らしがよくなる。

私も、何度も
同じ種類の反応に気づいている。今回と同じような。
でも、全く同じ環境におけるものではなく
新たな観点での
新たな気づき  でした。

そんな自分を責めてしまう反応をする。
自分にウソをついてしまっていた自分を
とても気持ちが悪くて、そんな自分を不甲斐なく思い。

そして、こんな風な自分がいなければと枠を作る。
本来、そんな枠が
その時の自分の素直な姿ではなくても。
(ただし、仕事柄やその場に適切に対応するために
意識的にできて、適切に適応しているのであれば、
それは、欺きだ・・・という反応は起きない。
自分の素直な自分は自覚できている上で、
自分をコントロールできている上で適応させているからなのです)

無意識にやっちまうからこそ、
後で気づいて自己嫌悪に陥るのです。
そして、いつも気をつけているゆえに、
それが出来なかった自分を、必要以上に責めてしまう反応をすることもある。


この発見に伴って、
皮をまた1つむいたおかげで
自分発見も、別の事においてもあらためて起こっている。

あらためて、
幼少期に親から送られたメッセージの影響を思うのでした。
強烈なのですよ、これ。
誰にとってもです。

それを今までもどんどん発見しては解放してきているわけですが、
留まりはしません。
今もどんどんいきます。
この先もいきます。
死ぬまでやるサ。
いけるところまでいくサ。

気持ち悪くて、
居心地が悪くて、
自己嫌悪に意気消沈しても
それでも、そんなプロセスは
解放時のすがすがしさを思えば、楽しい道々の景色にも思える。
その時には気持ち悪くても

発見するたびに
また、発見のプロセスで必ずといってよいくらいに
夫と会話したり、
その形態は、世間話である事もあるけれど、
「新しい発見」を伴うという事は、
簡単ではないプロセスなので
形態は、ケンカ形式になったり、
時には、プチ噴火形式になったりもする。

そして、その中から
一体、何がスッキリ表現できないから
イラついているのか
本当は何が言いたいのか
本当は何を求めているのか
素直な自分の声を探す。

そして、
幼少期に受けたメッセージの不当性を
私は訴えることとなる。

そこにさかのぼっていくのです。

これは、一般的に
いつまでたっても親をどうこうとか
大人になれない感覚とも言い切れない
自己探求の一貫なので
実際の現実場面では
両親には思いやりをもてるし、
そのように接するし、客観的に過ごせます。

しかし、探求時には
なるべく、本音
言い切れなかった気持ち
誤解だったからでもなんでも良いのです。
自分はどういいたいのか
どう思ったのか、
それをどうひきずっているのか
どんどん引き出していくわけですが

先の発見をきっかけに
芋ズル形式に
幼少期の事に
フェスティバルの時に発見が起こり
その時から結構続いて
まだ、芋ズルは切れていないのです。

せっかくつながっている今の間に
今引っ張れる分だけは
もったいないので、キッチリ引っ張って土から出しておこうとしているのでした。

自分に真面目に向き合っていると
一旦は不本意ながら
変化球といいますか
常套手段となって
夫への違和感や、
自分への違和感を夫にぶつけたりという形をとったとしても、
これは、夫の自己発見にもつながる。

私の
こころのヨガ的生活の傍らにいる夫なわけですから
夫自身も
一般家庭ではまぁ
そうそうはないだろう
自己をみるしかない、
自分を省みるしかない
探るしかない
という事が自然と起こるチャンスがゴロゴロだからなのでしょうか。

夫は自分なりには
びっくりするくらい変わったというのです。
とても自分で普通に生きていたら一生でき得なかった事が
でき得ないスピードでといいます。

私にはスローペースに思えるために
かわいそうな夫は、
ものすごい勢いで、殻に閉じ込めていた自分の解放にも
きっと取り組んでいるのだろうに、
私には、その変化をあまり認識してもらえなかったりする

なので、時々
振り返っては「偉い」と伝える努力をしている。
きっと夫にとっては充分に足りてはいないのでは・・・と思う・・・・
すまん・・・

昨日も
一時は訴えモードになりつつやっていた。
そこで、夫にひっかかる部分をみつけて問いかけてみた。

「人と接する事がうまくできないんや・・・」
「社交的になれない自分が・・・」

と言っていた。

誰にでも、どんなときにも無条件でこころを開いていたり
不必要にしゃべり続ける必要など全くないのに、
沈黙が怖い人はしゃべり続けるけれど、
自分は沈黙でも相手の存在を感じるから
話す必要性を感じないという夫は、
それではダメなのではないか・・・と気にしているらしい。

確かに愛想は良いとは言えない。
でも、愛想だけ良い不誠実さほど不必要な社交はないと思う。

そして、人間と人間のつながりは
数ではないと思う。

そう励ましつつも、夫の弱点であるその部分については
確かにあるので、更に探っていくと
やはり、夫は夫の人生において
幼少期の環境にいきあたった。

やはり。
本当は、夫と親しく話すようになって
家の感じのことを聞いた当初に
「これ、絶対に影響しているな。
これ、将来的に壁として出てくることやな」
と思ったことだった。

今では、夫は自分としても
そこのところが原因のひとつとなって
どうも自分では解放しにくい部分があることを
自覚もしている。

しかし、
沈黙の中に
「つながり」や「存在」を意識できるというのは、
本当の意味での「人間関係の理想」であって、
夫はその感性があるゆえに、かわいそうな事に
一般的な
その感性が鈍い人を含んだ
「見える社交」に苦手意識があるのだと思う。

夫には、「見える社交」の達人に
私は見えるのだそうだ・・・・・

バカ言うんじゃないよ・・・
私も本来、「見える社交」ほど
つながり感の薄いものはないと感じるし、
人と接する仕事ゆえ、それ以外の時には
意識的に引きこもったり、外に出なかったりして
バランスとっているんだぞー と思うけれど、
一旦、意識が人に向いたときの
こころオープンさのことを言っているのだろうと思う。

それは・・・・・・・・
きっと・・・・・・・・
不本意なメッセージも多く受け取った両親だけれど、
自然な形で
たまたま人に珍しいタイプの思いやりをもともと持っている
両親共がそういう人だったからなのだろうとも思う。

不本意なメッセージは見つけて
解放する作業は必要として
素晴らしいメッセージこそ、あたりまえすぎて
感謝しにくいからこそ、
やはりみつけていくことも
同じくらい大切だ。

そんな探求話をできる夫にも
不本意なぶつかり稽古も
探求のうちとしてできる事に感謝だ。


そんなここんところ
選ぶバッチフラワーの感情は
また自分とよりマッチするし
その働き具合は素晴らしく、
ググっと観たところにググっと働くので
その働きのすごさに
またまた感嘆と感動をしている。

今日も、体全体を被っていた何やら鈍いこころがあったけれど、
コーヒ-を飲んでいるうちに、被いがなくなって
あたたかいハッピー感に包まれてきて
あら、どうしたのかしらと思っていたのだけれど、

それは、コーヒーにいくつかのバッチフラワーを入れて
飲んでいたからだったのです
ウソのように被いは晴れていた。
すごい道具だぁ
あらためて  よく働くなぁと  また思った




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