お知らせ

プログ再開しています♪よろしくお願いします☆

ご案内

ヒーリング・スペース・アバヤでは、ヨーガ、バッチフラワー・レメディ、アーユルヴェーダ・セラピー、サイコセラピーを行っております。

アバヤ

Author:アバヤ
ヒーリング・スペース・アバヤへようこそ!
ヒーリング・スペース・アバヤでは、神戸、尼崎、伊丹で、
ヨーガ、バッチフラワー・カウンセリング、アーユルヴェーダ・セラピー、サイコ・セラピーをさせて頂いております。

★インド中央政府公認ヨーガ・セラピスト                   ★インド中央政府公認ヨーガ教師            ★日本ヨーガ療法学会ヨーガ療      法士                 ★NPO法人国際ヨガ協会 教育本部師範代               ★NPO法人国際ヨガ協会北京都支部摩耶学園学園長        ★バッチフラワーレメディ・セラピスト                   ★バッチ国際登録プラクティショナー                    ★アーユルヴェーダ・セラピスト

カテゴリー


FC2オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

最新の記事


カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

月別アーカイブ


ブロとも申請フォーム


最近のトラックバック


FC2チャット


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヨーガやアーユルヴェーダでは、すべてのエネルギーの質を

3つのエネルギーの状態でとらえます。

(別のエネルギーの状態で分けるカテゴリーもあります)


①浄性

②激性

③鈍性


物質の質にも、私たちの肉体の質にも、こころの質にも、この世の全てのものを
この三つのエネルギーの状態で捉えられます。

(何度も言いますが、これだけで捉えるわけではありませんよ。
例えばアーユルヴェーダでは、ヴァータ、ピッタ、カパという分類もあれば、ヨーガにも
共通して、更に細分化した捉え方、分類も奥深いのですが)


 人間は、うまくできています。

苦しくなると防衛します。

それは大切な機能です。

でも、防衛ばかりしていたら人は成長はしなくて、体も免疫力アップしなくて、
こころの状態も打破できなくて、

また、やり過ごせても、またやり過ごせても

同じことで一生いたちごっこで、ハムスターがカゴの中の輪の中で
終わりのない動きを続けているようなものかもしれません・・・・・

さぁて、どうしよう

ヨーガは、そこから踏み出す道でもあります。

その方法を明確に受け継いできているものでもあります。

そんなの難しいはずよ、きっと、きっと、偉い人や、山の上に住んでいるようなヨーガ行者が
できるような事に違いないよ・・・・・と思いがちですが。

ヨーガは、全ての人のためにあり、全ての人に応じてあり、全ての人が必ずできるものです。


こころがどんな風にも揺れなくなることが   ヨーガだ

ヴァガバット・ギータにはそうあるんだよと、先日の菅野美穂さんのヨーガの番組でも出てきていましたねぇ。

揺れなくなるには、逃げなくなるのも一歩です。
腰が引けていてもいいのですが、逃げない。

苦しい時には、苦しいとよくわかっていれば、逃げなくて良いし、
その方が、実は苦しみは少ないのです。

それは、例えばこんな感じです。

注射を打たれるとしましょう。

大っ嫌いな人は、確かに痛い。
べっつにーって人は、別にそれほど痛くない。

なぜかと言えば、確かに痛さが違うからです。

嫌いな人は、嫌いだから痛さが倍増しているわけでもなく、
特に嫌いでない人は、だから、嫌いな人よりも痛さを感じないというわけでもないのです。


拒否のこころは、身体全体で緊張をします。それは、全筋肉だけではなく、
免疫機能や魂と言われるような細密な深部に至るまで総動員で。

針も受け付けられません。身体は、皮から筋肉にかけても侵入してくる敵を
絶対に拒否したいのですから。

そりゃ、痛さは倍増に決まっています。


一方、特に嫌いだというわけではない人は、
痛覚が鈍いわけではありません。痛いものは痛いのですが、
痛いものは痛いと覚悟しているだけのこと。

ですから、痛いのは別に好きではないけれど、全身全霊で拒否はしていないのです。

そうすると、皮も筋肉も、まぁ、必要で入ってくる針ですからね、痛いことは痛いけど
どうぞって感じで機能するのです。

そうすると、同じ針でも、痛さとその経験の苦しみ度は、全く違うわけです。



このように、私は苦しいことが多いと思う方は、
起きる出来事全てに、拒否の反応をしていることが多いはずなのです。

 だから、逃げなくても大丈夫なのです。

でも、あまりに自分にとってはショックな痛みで、それをその時点の自分では
あぁ、痛いけど、まぁ、受け容れましょう

なんて言ってられないような事が起こったり、自分にとっては、そんな事が
立て続けに起こる場合、

人の機能は、人としての命としての存在を守るために「鈍く」なって、
それを感じないようにしてさえも、自分を守ろうとするのです。

良かった、守られてるんじゃないか・・・・・というわけではありません。


それは、緊急的に守っているだけなので、
その状態が続くというのは、実は、怖がって、
膝下のプールで水遊びをしているように人生を送るようなもの・・・・・

せっかくだから、できれば全身を使って、まずは、足のつくところで泳いでみたいし、それができれば、足のつかないところでも泳げるようになれれば、もう、膝下プールなんて、怖くもなんともありません。
そして、今度は、海に挑戦もできるでしょう。
海には波はあるけれど、きっと膝下プールでチャプチャプしていた時とはちがう、
匂いや風や、空や景色がひろがっているはず。
時には、水も飲むかもしれないけれど、その景色の中にいる素晴らしさを
体験したら、やっぱり、そっちを選べるようになってくる。

自由に自分の意思で楽しみながら、様々なことを経験できるようになりたい
というような過程が必要なのです。

しかし、海が怖くなくなった人にとっては、そこはもう、特に危険に全身を緊張させて
怖さのあまり、拒否的反応をするような場ではなくて、
リラックスできる気持ちの良い場所になっているはず。

そして、同じように、膝下プールの人も、波は来ないし、水も少ないし、
泳ぐわけでもないから、事故も起きないはずだし、何より、泳ぐことすらしないので、
やっぱり、怖くなくて、安心なのです。


前者の行動やこころの状態や身体の反応の状態は「浄性」と言えるでしょう。
そして、後者は「鈍性」


しかし、後者の多くはこう感じていて、実際にこう言います。


「私は、もう水にはあまり恐怖を感じることもないのですよ。全身が水に触れていても
私は既に、特に反応することもありません。私は水はもう克服していますし、とても平安な状態なのですよ。
ビビることもありません。なぜなら私はもう、ある意味、水とは何かを悟っているからです。
まぁ、慌てることもないので、肝がすわっているとでも言うのかな」


こうして冷静に観ていると、ありえない!と思います。
そんな事、私は言わないし、思わないわ・・・

それは、客観的に捉えられている事だから、とんでもないわとわかることができるのです。


私たちは、全て
自分が逃げて、自分なりの膝下プールにいるときには、まさか自分が大海を知らないとは
気もつかないのです・・・・・・

知識で知っているから、わかっていると思ってしまうのです。
大海はどんなものかを読んだ事があるから、大海で泳げると思い込みがちなのです・・・・・


あぁ・・・・そんなの こっぱずかしい・・・・   でも、誰もそうなのです。もちろん、私も!

そうして、本当に大海を知識ではなく体験して泳げる人はこう言うでしょう。

「海は私たちをいつも受け容れてくれています。自分が不注意だと事故にあいますから、
いつも、細心の注意や準備をしています。そうして、私は、海の素晴らしさをいつも満喫できます。
もちろん、私の力ではとうてい無理な波があるときには、入りませんが、
大丈夫な波の時には、気をつけながらもそれに挑戦して楽しみます。
でも、そうしているうちに、昔と比べると、波の事もよくわかってきているし、ただ恐怖に身を縮めているだけというような事も、少なくなっています。しかし、海は奥深いものです。私にはまだまだわからないことばかりです。」


では、「激性」という状態は、どんな風に言うだろう


「海ね、まぁ、危険もあるけれど、大丈夫。この前もかなり危険な波の時にも平気だった。
まぁ、だいたいはもうわかっているから、ガンガンやればできるはず。
注意してたって事故が起きる時起きるんだから、そんなに準備したり、休憩しなくったって
ガンガンいけば大丈夫。数なんだよ、数!
まぁ、自分なんかは結構海にいるから、まぁ、全部とは言わないまでもね、だいたいはわかるね。
他の場所は知らないけど、まぁ、そんなに変わらないはずだし、いけるとおもうよ。
とにかく、波は制覇していかなきゃ。波なんてこっちからしかけていくよ」


またまた、嫌な感じじゃないですか・・・

こんな事、思わないし、言わないよ・・・と思いがちですが、自分がその状態にある時には、
口調こそちがえども、このような特徴で表現したり、こころの状態はそうあったりしてね・・・・・

あぁ、やっぱり   こっぱす゜かしい・・・・・・でも、私もそうです。


「激性」と他の状態は、見誤りは、少ないにしても、
「鈍性」は「浄性」と見誤るかもしれないよ。


静かで、水溜りになっているのと、

洪水のようになっているのとは、違いがわかりやすいけれど、

とうとうと流れ続ける大河のような、不動感と、水溜りの動かない感、
流れのなさ感って違う。



でも、やりがち・・・・・    気をつけろ!



スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


 | BLOG TOP | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。