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★インド中央政府公認ヨーガ・セラピスト                   ★インド中央政府公認ヨーガ教師            ★日本ヨーガ療法学会ヨーガ療      法士                 ★NPO法人国際ヨガ協会 教育本部師範代               ★NPO法人国際ヨガ協会北京都支部摩耶学園学園長        ★バッチフラワーレメディ・セラピスト                   ★バッチ国際登録プラクティショナー                    ★アーユルヴェーダ・セラピスト

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内閣府が24日に発表した「男女間における暴力に関する調査」の結果によると、
事実婚も含めた結婚経験がある女性の10・8%が
夫から身体的暴力や心理的攻撃、性的強要といった
暴力(DV)を繰り返し受けていたことがわかったのだそうです。

中には、妻から同様の暴力を繰り返し受けた経験があると回答した男性も3・0%あったそうです。

DVって単純ではないですよね。
心理的攻撃というのもつらいですね。

しかし、心理的攻撃の場合、思いがそれぞれにありますから、
受け止める側の、思い方にも依るところが、やはり身体的暴力と同じように
扱いきれない繊細な問題ですね。
加えた方も、加えられたと思う方もね。


DVの話題をテレビでやっていて、夫と話していたのです。
どういうのがDVのラインなんだろう? と。
こころの解放の過程で、そんなぶつかれあいがあったとしても、
DVとなると、どうなんだろう。

私は、夫に暴力を振るわれたりはしないし、されないだろうと思う。
それには理由があり、夫がある意味自分の力を知っているからだと思います。
極真空手を高校時代にやっていた夫は、自分が殴れば「死」に至るだろうと
知っているのだと思います。
(空手自体は、そんなにやっていないし、試合的には強くなかったそうですよ。
寸止めができないので、反則ばかりになってしまい、試合には勝てないのだそうです。
しかし、極真は、フルコンタクトなのでしょ?高校では違ったのかな?)
 縦にも、まぁ、横にもデカイ夫は、他人にその力は出してはならんと
わかっているのだと思います。
「ワシは手上げたりせんし、安心しとったらええで~にこり
と言うのには、そういう所があるのだろう。

 「私、暴力という意味だったら、暴力ふるわれてたかも?前の夫に」と言うと

 「え?  かもって? 覚えてへんの?えぇ

 「いやぁ、まぁ、そんなもんなんかなぁ・・・・・と思っていたような傾向があるのかなぁ?」

 「えぇぇぇぇぇぇ?」

 「いつもって事ではないから、男の人は、そんなもんなんやろかぁ・・・・って、
 当時、思ってしまっていたのかもしれないなぁ・・・・・・・・
 もしかして?
くやしいですbikkuri01(ザブングル的に読んでください)」うしし

 きっと、実際に暴力を受けている人は、もっと多いのだと思います。
ただ、それを問題だと思う所までの意識はない人は多いのかもしれませんね。

 まぁ、身体的暴力については、特にそんな感じの記憶でしたが、
心理的攻撃については、とても覚えています。
夫も、
「あんたは、やっぱり何かの時に必ずそれが出てくるなぁ、
 やっぱり、深く傷ついていたんとちゃうか?」    
と言います。

そうだと思います。
でもね、これはいつもスケールにできています。

前の夫は、コンプレックスの塊だったのだと思うのです。
学歴や収入や生活レベルだとかをとても気にしていたようでした。
特に、学歴とか生活レベルについてのこだわりは強かったようでした。
でも、思うように学校に行けなかった彼には、ずっとコンプレックスとなり、
卑屈さになっていたのかもしれませんね。
でも、仕方ありませんよ?
彼は、能力がなかったかどうかはわかりませんが、
受験をするという 心構えや勉強をする覚悟なく、遊びまわっていたらしいですから、
それは、当たり前の結果だと思いますよ?  できたかもしれないけれど、やらなかったのですもの。
能力というより、自制の力、こころのコントロールのできなさが、
むしろ彼の弱点だったのかもしれませんねぇ。

そんな彼は、
私が、何でもうまくいっているように思えてならなかったようでした。
努力したり、集中して勉強したり、仕事しながらでも別の勉強したりも
していましたから、それも当たり前ですよ?たはー
人とのつきあいも深かったので、
人が沢山集まってきたり、信頼を頂いていたことも、彼には気に入らない反応になっていたらしく、
自分には得意でない面を私に観ていたのかもしれません。

しかしですね、
ここの点、全く今の夫と同じなんですよエエェッ!?!?
ここ注目なんですよ。

前の夫は、それでどうしたかと言いますと、
二人の時には、主張してもどうしようもないので、
人がいる時、人の前になると
徹底的に私を避難しておりました。

「こいつ、おかしいでしょ?」
「こいつ、頭おかしいでしょ?」

ほんとうによく人前になると、私の能力と私の存在を根こそぎ否定しておりました。
その事で、
「自分は大丈夫でしょ?」
「自分が変なんじゃないでしょ?」
「自分がダメなんじゃないでしょ?」
とジャッジメントを他人に求めていたのですね。

かわいそうな こころでしょ?どれだけ満たされないこころをしていたのでしょう・・・・・・
今は、そのようなこころに同情できます、客観的に。
でも、またそういうこころの人と仲良くしたいとは、一滴も思いません。
有意義でないからです。
でも、セラピストとしてなら、私は既に、彼のこころを客観的に受け容れられるのですにっこり

これは、悪い出来事  だとは言えないのですよグー!
自己存在を否定されたゆえに、私は、私の内にある
否定され得ない 「自己価値」「私の思うところの善」「信念」が逆に
浮き彫りになってきてね、その価値をしっかりと思えるようになったのですよにっこり

そうして離婚しましたが、それから数年して、
今度は全く別の人たちや別の事から、
徹底的に命まるごとくらい「自己存在の否定」を受けたことがありました。
それは、徹底していて、数年に渡りました。
しかし、これも 一概に悪い出来事だとも言い切れません。
なぜなら、私はこのとき、ここまで徹底的に自己存在の否定をされたゆえに、
真の自己とはは徹底的にみつめることとなり、
表面の条件や、こころの波などではない
「自己」の存在を得たからでした。

今日、こころの波にとらわれずにみなさんの真を観られる方向をもっているのも、
このような経験を、糧にしたからなのでした。

これって最高のでしょ?

良い、悪いは自分の価値で思いがちですし、
運が良いとか、悪いとかとも、また運がないとかよく言いますが、
運なんていうのは、ないのではなくて、
単純にそこにあるを良い悪いと判断してしまって、
悪いと思った運は放ってしまっているから、その運が運んできている「宝物」を
見つけられないだけなんだと思うのです。

悪いと思える運にこそ、自分のその時の反応の裏には、
超えたら宝石   という何かが  宝箱が隠れているのだと
私は体験的にわかるようになったのですheart

さて、今の夫も同じように私に思っているという話ですが、
前の夫も今の夫も、
私については、ほぼ、同じような人だと思っているのではないかと思います。
が、今の夫は、
自分には決してできない事を私にできると知ったとき  こう思うのです。
「すごいなぁー、ワシの知らない事できるんや!
ワシ、教えてもらえるしラッキー」と思うわけです。

人とのつきあいにしても嫉妬ではなく、
「ワシはあんまり人づきあい上手な方じゃないから、良かったぁ・・・
 わからん事は、教えてもらえるしー、ラッキー」と思うわけです。

それが能力であれば
「ワシはこれが得意、ワシはこれができる。
 でも、これはあんたが得意、これはあんたの才能。
だから、あんたの方が得意なことは、あんたが主導権を握って、不得意なワシを誘導してくれ!
ワシが得意なものは、ワシが先に行く、あんたが得意な事は、あんたが先に行ってくれ、
ワシはあんたの後ろを守るぞ」  と思うわけです。

同じような者が二人いない事で、幅が広がると思うものと、
同じような物が二人いない事で、自分ができないと思われると思うもの。

 ファイナルファンタジーやドラクエのようなロールプレイングゲームでも同じですよね。にっこり
力あるものは、力ある問題に接した時には、隊列を前にとる。
しかし、力の能力はなくとも知恵や魔法の使えるものは、
後列にいつつも、前列のものを支え、また、別の手法でより問題に強く挑む。

 同じように評価していても、
一方のこころは、それを自分を阻む良くない事をもたらすと怯え
一方のこころは、それを自分にないものをもたらす宝と喜ぶ

何の違いなのか


こころの反応       の違いなのです。


私が大変な自己存在の否定にあってこそ、今日にいるのも、
活かそうという こころの持ち方、学び、成長  という心の持ち方が
あったからなのだと思います。

しかし、それでも、
私のこころの中には、それらの影響からの多くの解放されない  思いが  
まだまだ蓄積されていると思います。
まだまだ、多くの傷ついたこころがあると思います。

これからも、どんどん出してきて観ては、解放させていきたいと思うのでした笑い。ふるーつ☆Cultivation・ドキドキハート



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