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ヒーリング・スペース・アバヤでは、ヨーガ、バッチフラワー・レメディ、アーユルヴェーダ・セラピー、サイコセラピーを行っております。

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Author:アバヤ
ヒーリング・スペース・アバヤへようこそ!
ヒーリング・スペース・アバヤでは、神戸、尼崎、伊丹で、
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★インド中央政府公認ヨーガ・セラピスト                   ★インド中央政府公認ヨーガ教師            ★日本ヨーガ療法学会ヨーガ療      法士                 ★NPO法人国際ヨガ協会 教育本部師範代               ★NPO法人国際ヨガ協会北京都支部摩耶学園学園長        ★バッチフラワーレメディ・セラピスト                   ★バッチ国際登録プラクティショナー                    ★アーユルヴェーダ・セラピスト

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ヨーガや神秘的な本は、本屋に行けば手に入る。
しかし、それはヨーガが手に入ったことではない。

単純に言ってしまうと語弊があるが、
あえて言うなら、

「知識」はヨーガではない。

本の中には「知識」はあるが、それが「智慧」なわけではない。

本の中に「ヨーガの状態」はない!


あえて今日は、こう警鐘をならしてみよう。

多くの人がハマる事だからです。
(アバヤのヨーガ・クラスに実際に来られている方々には、特別警鐘を鳴らさなければ
ならないような方はいらっしゃいません。
アバヤ、実生活の小さな事にヨーガの説明を致しますし、
また、アバヤの仲間たちは、しっかりヨーガ、地に足をつけてこられるからです)


前回と同様、スワミ・チダナンダ大師の講和から学んでみましょう。

チダナンダ大師の師は、スワミ・シヴァナンダ大師。

シヴァナンダ大師は、『我が愛する子等よ。真の信仰修行を行じなさい』
と言われている、
「真の信仰修行」を「せよ」   と。           
(※ヨーガの概念でいう信仰修行とは、自らと大いなるものとが他ならない事を
自覚する事において、その真の自己を見出して体験することを目的とした、
真のスピリチュアリティーを自覚する鍛錬の事。ゆえに「真の」「信仰修行」と
あえてシヴァナンダ大師も表現されている。)

「せよ」とは、「努力」を意味しているのだとチダナンダ大師が言われています。
ここではあえて、「知識」を遠ざけてみたいのですが、
「読め」「知れ」とは言われていないのです。

「せよ」とは、すなわち
求められているのは「行動」であり「活動」なのだとチダナンダ大師が言われている。

動けという意味合いだけではないが、頭の中で知識を得よ、読めではなく、
実際に知識を行動して、体験しなければ智慧ではないのです。

知る  事は   体験ではないのです。


知らなくても、体験すれば   「わかる」のです。


あなたは、火が熱い事を知らなくても、
火に手をつければ、「熱い」事を「わかる」


あなたは、料理の本をいくつも持っていて、
ある料理の作り方を「知って」いても、実際に「美味しいその料理」が作れているわけではないし、
その知識は、

あなたの大切な誰かに
美味しい匂いを味わわせて、しあわせにする事はできないのだ。


メニューや料理の作り方の知識では、あなたの命は養えない。
メニューや料理の作り方の知識では、あなたに滋養はない。
メニューや料理の作り方の知識では、お腹は満たされない。


上手な作り方を知らなくても、
あなたが、何かを食べること(努力、行動、活動)によって、
はじめてお腹は満たされる。

どうして日本料理などの繊細な料理人になるには、
何年も何年もの修行がいるのか。

それをあなたは、本でできるとでも言うのか。
本で方法を知ることで、得られると思うのか。
その真似で真髄が得られるとでも思うのか。

これが方向性として言われている事なのだ。

一方、努力や行動、活動を闇雲にすれば、どうだろう?
これもまたリスクや危険が伴うだろう。

すなわち、正しい方向づけがされていること、知性にあふれ、
はっきりとした目的意識のある行動、活動という努力が求められているのだと
チダナンダ大師は、ある講和の中でおっしゃっている。

インドには伝統的な聖典が多くあるが、
その中で、私たちにわかりやすく説明されているようなもの、物語的なものなどを
プラーナ文献と言われるが、
その膨大な聖典の中でも、全ての中で貫かれている内容が、
不断の努力   について説かれている内容なのだと。

『あなた方がいかなる多くの知識を持ち合わせていようと、・・・・・中略・・・・・
多くの知識を吸収し、それらのいかなる知識が頭の中に詰め込まれているとしても、
努力というものでそれらの知識が後押しされなければ、それらの知識は財産と
なるどころか、むしろ負債にすぎなくなってしまうということです。
このとき、それらの知識はあなた方が抱える問題を単純化させ、解決させるものとなるよりも、
むしろあなた方の重荷となり、あなた方の問題をさらに複雑にさせるようにもなるというわけです。』

とチダナンダ大師は言われています。

ただし、
『知識を得ずにいることは、決して良いことではありません。
知識を得るという事自体はとてもよいことです。
しかし、獲得された知識が動きのある生活の中に取り込まれ、
積極的に使われるようになり、また、
知識が規則正しく継続してなされる努力へと説清く敵に変えられてゆくような
事が行われない限り、知識を得るという行為だけでは、
全く不充分だといえるのです。
全ての聖典が伝えようとしているのは、究極の目標に達するためには、
どんな種類の努力を行ってゆけば良いかとか、どんな種類の行為を為してゆけば
良いのかという知識についてです。』

という事なのです。


ヨーガ教室に通われている方が、しっかりと地に足をつけて変化してこられるというのは、
その人にとって、「知識」だけではなく、
その人にとって、どんな種類の努力を、どんな風に行っていけば良いのか、
どんな種類の行為を為してゆけばよいのかの知識を得ていかれるからに他なりません。
闇雲さがなくなっていくという事です。
そして、それを実践して暮らす(行動、活動)からです。

自らによって、そうなるためのアドヴァイスは、ヨーガクラスでは機会があれば
行っていくのです。

遠い夢物語のような事ではありません、
自分の今日、自分の目の前の暮らしに密着していなければ、
一歩も進むものではないのです。

聖典の勉強、瞑想などはヨーガでは大切な事とされます。
しかし、あなたの目の前で、あなたの子供がお腹をすかしていたとします。

そこであなたがとるべきことは、
聖典の勉強でもなく、瞑想でもなく、
子供にお乳を与える事なのです。それがダルマであると教えているのが、
逆に言えば、聖典であり、瞑想の効果なのです。

ヨーガとは、暮らしの中に真髄があり、
目の前の暮らしより覆い隠された神秘であるとするならば、それは、得ていないという証だと
いう事になりましょう。

日本人に生まれたことの意味、
ここにいる意味の中にこそ、自らのヨーガの道が開けています。

知識を得て、いまだ暮らしが悩みにつつまれているなら、
知識を放棄する勇気をもつこと、これもまたヨーガ。


暮らしの中にあって、頭の中にあるものではないと得たとき、
私たちには、目の前に道がまた開けましょう。


そして、その暮らしの質を変えていくこと、
それが学び。

暮らしの中でこそ、私たちは自ら
自分の苦しいと感じること、思うように行かないことを得る。
だからこそ、それによって自己を得る。(調べられる)


リアルさは大事なスケールの一つ。
夢物語中から、霧の中から、闇の雲の中から
さあ、出てみよう。

行動、その活動がきっと、次の一歩を導き出す。


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