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Author:アバヤ
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★インド中央政府公認ヨーガ・セラピスト                   ★インド中央政府公認ヨーガ教師            ★日本ヨーガ療法学会ヨーガ療      法士                 ★NPO法人国際ヨガ協会 教育本部師範代               ★NPO法人国際ヨガ協会北京都支部摩耶学園学園長        ★バッチフラワーレメディ・セラピスト                   ★バッチ国際登録プラクティショナー                    ★アーユルヴェーダ・セラピスト

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グレーというこころの在り方の大切さをお話しました。
ちょっと、わかりにくいかもしれませんが、
先日にお話した意味合いでは、
その「グレー」である事こそ、本来の「白」いこころの状態だといえるでしょう。

「白」だという思い込みや、「白」だと主張するこころの反応は、
既に、バランスの状態にはないということなのです。


以前にも「善」「悪」という事についてでもお話したりしていますが、
確かに、善悪の判断をして、善であろうとする事は、ヨーガのいう「智慧」によって起こる事。

しかし、「善」であらねばならないと思いすぎて、偏狭であるこころの反応のときには、
「智慧」の状態にはあらずなのです。
過ぎたるは及ばざるがごとしとも言えます。

白か黒か   というものの考え方は、二元的なのです。
ヨーガの智慧というのは、二元的なものの捉え方から解放されている時に
実現されているものなのです。

ちょーっと表現難しいですか?
大丈夫ですか?

まぁるい状態    というのは、なんでもOK  オームの状態だといえますが、
この「何でもOK」を勘違いしてしまうのが、

善悪にこだわらない  という事は、「悪」でも良いという事なのか?という疑問ですね。
何でもOKというのは、善だの悪だのいう事に、影響を受けない状態です。

じゃー、「悪」でも「悪」だと感じなくなるこころか?
それも違います。「智慧」をものさしとして、以前にお話した馬車の御者は手綱を握り、
善だ悪だという、二つの間を揺れたり、うろたえたりせずに、御者の後ろにいる
「クリシュナ神」に問うという例えにあったように、「智慧」に照らし合わせて
自分を常に調べるのです。

それをヨーガ哲学ではよく、「精査する」という表現などが使われるところです。

精査するといわれたら、徹底的に調べ上げて、自分の弱点を悪を重箱の隅をつつくようにする
ことのようにも勘違いしやすいです。
そうして、自分はダメに思えたり、自分を責めたり、卑下したりと思い違いしそうになりますが、
それも違います。

もう少し、さらりとやってみる。

ヨーガクラスでやっている、身体を全体をさらりと調べてみたくださいね。
と言うとき、
自分の不調を全くわからないというのは、善悪の判断ができないのと同じ。
不調を感じとってこそ、不調を調和させていけるわけです。

でも、調べるからと言って、ひざ・・・・・ひざのこのあたりが・・・・ちょっと何か真ん中でない感じがして・・・・あれ?力が少し入っているのかな?ぬいてみようかな?
ぬけない感じがする・・・どうしたらいいのかな?わからないよ・・・・・
どうすべきなんだろう?     なんていうのを精査とは言わないのです。

想像してみてください。
そんな風な意識のときには、「今」というときにも、「ここ」という場所の感覚もなく、
まわりと自分との関係性はなくなっていて、自分の身体全体という意識はなく、
まるで自分が「ひざ」だけの存在になったかのように、そこに偏り、固まった意識として
滞りますよね?

そんな間に、きっと次のほぐしにすすんでいるでしょう。

一つの方法として、「ひざ」をよりクリアに感じなおすために、観察する場合は別です。
その時にも、そこに意識は注目はしていても、
固まり、こだわるものではありません。

そして、どんな状態が、ひざにとって理想的なのかわからないまま、
これはダメだと思い、責めていては、もう、そこから進みようもありません。

それよりは、何か違和感があるなぁ~   今日は痛いなぁ~
今日は鈍くてわからないなぁ~

という事を単純に事実として自覚し(この事を精査という)
身体全体をほぐしていったほうが、結果的には、そのひざでさえも
ほぐれているものだと    ヨーガをやっている方にはわかりやすくはないでしょうか?

前者には「判断」が入り込んでいるのです。ジャッジメントです。
後者は、事実を事実として単純に自覚しているだけなのです。感情による揺れもありません。

ここが、最大のポイントです。


そして、これがグレーでもあります。

二元的な捉え方には、ジャッジメントが入り込むのです。
このジャッジこそが、「無知」という「智慧」と反対のこころの在り様なのです。

そして、判断をするこころにさえも、とらわれずにいられるといいですね。
「ムカつくー」なんて、そこにはちょっとジャッジが入っているわけですからねうしし

ムカついているわぁ     と   客観的な自分が、観察する自分は冷静にあれば、
それは、「智慧」が働いているという事だからです。

わかりにくいかもしれませんが、
これは、むしろ「慣れ」のようなものです。

解る必要性を感じるよりは、
その「智慧」の捉え方を自分に採用してみて、練習してみるのです。
それを日々刻々の暮らしに採用してみるのです。
それだけでいいのです。

そうすれば、「慣れ」てきて、知らない間に解っているものなのです。
心配は要りませんし、恐れる必要もないのですよグー!


白だ!    と主張するこころの在り方は、
黒を想定している時にしか起こりません。

という事は、グレーではなく、二つのこと(二元的)のどちらかを判断しようとしている事の証です。

選択をしないという事もまた違うのですよ?

日々、智慧を働かせて、善悪の判断という意味では、精査していくのですが、
ここで、みなさんのこころに
どうしようもないモヤモヤが生じるでしょう?

「どういう事なんやろ~泣」という。

だって、善か悪かをいつも自分に問うて、私は選択して、
より良い方を選んでいるもんorz
なのに、なのに、○○ちゃんは反対のこと  しはるし、違う反対の事言わはる・・・・・
そういう時に、ムカつくんやもん・・・・・・・・・
「ちゃうやん!!!怒」て・・・・・・

なんで、私の善悪の判断と、○○ちゃんの善悪の判断は違うわけなん?

そこやん、そこがいつもひっかかってムカついて、イライラするんやんかー泣き顔




という声が聞こえそうな気がするわぁぷぷ

そうそう、そこなんですよね。

私が日々ひっかかり続けているのも、まさに  そこbikkuri01

こころの作用にやられてしまうのが、ここなんですよねぇ・・・・・



そこで出てくるのが「ダルマ」という智慧


智慧とは、道具みたいなものでね、いろんな道具があるのだけれど、
今日手に入れた、棒状の定規では、この智慧の定規ではあたれない、
縦横無尽なこの世、こころの多様の世界を
多様にあたれる定規にできるのが  この「ダルマ」なのです。



次回には、この「ダルマ」について、いつものように、まるで哲学ではないような
日常のアバヤのおバカ話でしてみたいと思いますにっこり
おたのしみに~rainbow

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2008/11/01 20:23 | ありあんす | 心地よい気のチカラ?あなたもできるハッピーヒーリング 前島です。上記の通り、「氣功」を使ったヒーリングなどを行っている氣功家です。突然ですが、あなたは、ヒーリングの基本って何かご存知ですか?もしかすると、ヒーリングに興味を持っているあなたならご存知かもしれませんね。そう、ヒーリングの基本は、「氣」というの...

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