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Author:アバヤ
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ヒマラヤ修行・・・行くまで・・・の巻の三

~道みちに、こころを平安にするために読もうとした本~



ちっとも、この『ヒマラヤ修行記』ヒマラヤの事に触れない。

なぜなら、ヒマラヤ修行は、ヒマラヤに居たたった10日にあらずだからだ。


 私のヒマラヤ修行は、行く前の半年では、すでにヒマラヤ修行だったし、
さかのぼって2年前からは、すでに、ヒマラヤにむかってのヒマラヤ修行だったし、
もっといえば、どの縁でヨーガの真髄につながるかへの納得のいく道のりとしては、
さかのぼって、15年にのぼっていた。

 その結果としての10日間
というのが、私の本当のヒマラヤ修行にもなるからです。

 その10日間がスタート、はじめての、ヒマラヤ修行の人もいれば、
私のように、一区切りの集大成の者もいる。
それは、おおいなるものの計らいであり、自分に合う方法なだけで、だれでも同じ道のりを
歩んでいるのだった。

 昨日、本を整理していた。
出てきたのは、インドに行く行程と、ヒマラヤまでの行程で読もうとしていた本、二冊だった。

 この本を観て、少し涙の出る思いがした。
この二冊を選んだ私の気持ちと状態が思い出されたからだった。

 一体、どんなに素晴らしい本を選んでいたのか?

 実は、どれほど、頭を使わず、「考える」という頭の無駄な作用から解放できるか
という微妙で微細な目的を達成するために、何度も本屋に行って選び出した二冊だった。
 それは、やはり、ヨーガの教科書である『バガヴァット・ギータ』だろうか?
こころの解放こそが、ヨーガの真髄とある、バガヴァット・ギータだから、「考える」から
解放するには、やはり、王道、バガヴァット・ギータだろう?

 おおいなるものは、一人一人に、あつらえた道をご用意されるもの。

 人の生きる道なら、バガヴァット・ギータだ!と言いそうな、昔の私になら、
母はこういうだろう。
実際に、別の事で言われた言葉だ。
「アバヤ、人は、その人その人の観音様を持って生きていると思う」

 お前には、そのバガヴァッド・ギータがバイブルかもしれないが、
最近、時々お話しているように、『天才バカボン』もまた、バイブルになり得るわけです。
 それは、読む人のこころのバイブル度に依るわけです。
バカなマンガだとして読む者にとっては、そう成るし、
木村慧心師のように読む人にとっては、ヨーガの真髄となるわけですから。


 そして、その時の私の心配や不安から解放してくれるバイブルに選んだ二冊があった。

漫才師、次長課長の河本準一著作 の自伝小説 『一人二役』と
尼崎出身の天才脚本家 高須光聖の『あまりかん』だった。

 私は、お笑いが好き。『お笑い』という言葉は、関西人にとっては、少し軽いかもしれない。
関西人にとって、笑いは立派な立派な文化であり、
笑いのとれる人は、機転がきくし、頭の回転も良かったり、空気も読むし、その場に適した時事にも
精通していたりして、その絶妙なハーモニーで繰り出される 自分の近くにいるそういう人は、
尊敬に値したりする。

芸人。

 「お笑い」とは、笑われる人間ではなく、人を笑わせることのできる芸当のできる芸人だと、
多くの関西人は思っていると思う。
 私にとっては、そうである。

 年いくつ?

と言われるくらい、古い時代の芸人から、その芸人の事情まで知っていたりする。
それは、私の父母もまた、そうだったからかもしれない。育った環境の中にそうあったのかもしれない。
 そして、なぜ、関西人は一般人もそんな風に面白いのか?というような質問を受けた
尼崎の生んだ天才の一人、浜田氏はこういうような内容を答えていたと言う。
「関西の子供たちは、土曜の昼は、学校から帰ってきたら、インスタントラーメンを食べながら、
吉本新喜劇を観る。これが毎週の決まりやからや。そういう中で育ってきてるからや」と。

 そんな天才浜田氏と幼少の頃から笑いの神が住みついて未だ、一体化しているのが、
松本氏と、そして、この『あまりかん』の著者 高須光聖は、尼崎で幼少時代から
一緒に過ごした仲良しだったのだそうだ。ダウンタウンの番組はもとより、
有名どころの番組の放送作家として、数多く手がけているのがこの高須光聖なのだった。

 何やら、芸人について語っているようになっているが、そのように『笑い』は、
時に、こころのバランスをとる、最高のものだからだと思う。

 
 私は、道のりを想像していた。
パニック障害的な広場恐怖を恐れていた。

 日本を出発してからの、あらゆる時間、ほんの少しの間・・・・・・
それさえも、恐怖に感じていたのだった。
 その恐怖をどうやって平静に近づけていくか   を私は、何度も何度も考え、
シュミレーションして過ごしていたのだった。
 
 いつも、読んでいるヨーガの哲学の本は、実際には、
今、怖い!

という時に、こころが嵐の時にはどうにもならないのです。


 私が普段、よく言っているのが、こういう事なのです。
こころが嵐になっていない、何気ない普段にこそ、身体をみつめ、こころを見つめ、
どのようにしたらよいのかを、学んだり、ケアする最善のときなのです。

 我々凡夫がやりがちなことは、思いがちなことは、
何もおこっていないから、今は楽々、休んでおこう   

 なんと愚かなことだろう・・・

 何かがおこったら、その時に考えたら良いと思いがち、行動しがち、
そんな人生になりがちなのだ。

 私がよく表現しているのは、そんな事を例えている。
「おぼれたときに、泳ぎをおぼえ始めればよい」  と言っているのと全く同じだと。

 おぼれて、今、
息もできない、今、恐怖でどうしようもない時に、

 泳ぎとは   という教本で、
そもそも、このように手を使うのは、こんな意味があり、水の抵抗力に対して、
このように使うから前に進むのである。
息は、このように手をすすめ、このように脚を動かしてのちに、このように水面にあがり、
息を吸うのである。

 そんな事、観ていられるか!?


今、恐怖なんだ! 今、死にそうなんだよー!!!



人間は、実際には、死の環境でなくとも    死にそうになるではないか。
実際に客観的に、考えてみよう。
例えば、恋愛が成就しようと、恋愛が壊れようと、それは、人間という生き物にとって
死の環境では決してない。

 でも、そうですか? そうでしたか?


人間には、「こころ」があるのです!
人間にとっては、身体にとっての、水や火や、寒さや地形や食べ物などの環境だけが死を感じさせるだけではなく、

 こころによって、何も環境的に死にいたらしめる場所でなくとも、
恋愛が成就したときには、この世は天国となり、
恋愛がやぶれたときには、この世はグレーに観えたり、味覚が薄れ、
死にたくなったり、      死に近くなれたりしてしまう。


 水がなくても、おぼれる生き物       それが人間なのです。


 ですから、普段にこそ、様々な波を想定しては練習をするのです。
少し、波を感じた普段にこそ、この波におぼれないようにと練習を強化するのです。


 そんなわけで、
日本を出発してからの、あらゆる時間や間は、私にとっては「おぼれる」かもしれない
全てが「おぼれるかもしれない」時間と想像しているわけですから、

 泳ぎの教本以外に、波を単純に回避するバイブルを欲していたわけです。

 どんな物語が、私のその恐怖にも打ち克つくらいの興味を抱かせて、
その恐怖も打ち消すことができるだろうと考えてみても、
そんなに没頭できるものは、考えられなかった。

 なぜなら、物語に没頭するには、そのストーリーに入り込むだけの
余裕がなければならないからだった。

 私の想定していた恐怖は、おぼれる    というほどの恐怖なわけですから、
泳ぎによってもたらされる、青空と水のすがすがしさや、水の気持ちよさなど
感じられるわけもないとふんでいたわけです。

 何が、そんなものから救うだろう・・・

 『笑い』だった。
笑いしかないと思いついたのだった。


 そして、その中で、この2冊を時間をかけて選んだのだった。
この2冊には、私のおぼれる状態を救い出せるような
恐怖を笑いに変えてくれるかもしれないと、そんな思いで買った。

 今も覚えているのは、きっと少しおびえた瞳をしてレジに向かい、
なぜか、この2冊を両手で大事に胸に抱えて家路についた感覚だ。

 しかし、ヒマラヤは、
この2冊を、スーツケースの中から一度も出さずに、
私を波と対峙させつづる修行をさせてくれた。
ギリギリのところで、おぼれることなく、
しかも、帰りのは、なぜか昔のように、泳げるようになっていたのだから!

しかも、もっと広い海を味わえるようになったのだから!


感謝で胸があつくなる・・・

ハリ・オーム






つづく













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