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Author:アバヤ
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10頭の馬がいる事に気付く・・・・・・・
そう、それに気付くには、私たちが10頭の馬と一つになっているところから、

おいおい、私は御者だった、馬ではない    と、
「観るもの」  と  「観られるもの」    として、まずは分解してわかるようになることです。

客観的に自分の身体や思いや行動を観られるようにする   ということです。

あなたは、馬と離れて、
御者アルジュナである事に気付かれることでしょう。


その客観視は、馬のいいなりで放っておいたら、いつの日か知らない間に
時がきて、アルジュナに気付く日がくるわ・・・・私たちは、何の努力する必要もないのよ

なんてヨーガでは言わないでね・・・・・・ニューエイジ・ムーブメントみたいに
アセンションが起るから、もう、そんな時代じゃないの、もう、御者にもクリシュナにも
気付く必要さえないのよ、時が来たら、勝手に救われちゃうのよ~って。

そのアセンションが起らなかったら困るから、ヨーガで行きましょうよ、みなさん。
もし、そのアセンションが本当なら、何をしていたってアセンションするって事なのですものね?


放っておいてもいいわけではないので、ここで智慧がキラリとしてきます。
智慧によって、客観視できるのですが、客観視する事によって智慧がわかってくるとも言えます。

御者は、「常に精査せよ」ともヨーガでは言われます。
「私は、馬の言うことを聴いていないか?クリシュナ神の言う事を聴いているのか?」と常に自分に問いかけなさい  という智慧です。
この智慧によって、智慧がさらに輝く出すということです。

欲か欲でないか? と問えということだろうか?と単純に思わない方がより賢明です。
ヨーガをよく知らないで、ヨーガを本などで読んで、実践をせずに行く人たちもいますが、
その人たちがよく勘違いするポイントはここだったりもします。
欲はいけないというのです。      これある意味勘違いです、ご注意ください。

欲かどうかなんて問うよりは、動機として問う方が、より賢明です。
欲かどうかと言えば、何でも欲になるからです。そんな問いかけを続けていくと、
こころが、「じゃー、何もしないことなんだね?!」   と、健全な欲まで否定して
すねていくこともあれば、では死なのか?という極端な問いかけを始めたりする事も
ないとは言えないからです。

 わたしたちは、今、ここに書いたり、読んだりしているという事は、大丈夫な状態な
わけですが、決して人事ともいえません。
こころの認識違い、こころの掛け違え、思い違いが(前出で、私はこころの歪みと表現しましたが、
歪みという表現が、自分にとってキツければ、この言葉を使わないのが賢明です)
反応するときというのは、今、健全な、健常な状態からは思い当たらない、「思い」が
出る事だって実際にあるからです。   どんどんヘコんでいく時なんか、そうですよね?
何となくわかっているのに、とめられなかったりするでしょう?

さて、動機の質を問うというのも、まだまだ先でも良いのです。
似たような事で、「良心に問え」とも言われます。
ブッダも同様の事を言っています。
良心に問えといわれれば、また、良心ばかりで行動も言動も、考えもできませんから、
自己嫌悪に陥りそうですが、そんな必要もありません

まずは、良心に問うという作業は賢明ですが、良ばかりになるという事は不可能です。
私たちにできることは、善悪のジャッジメントをなくすことで、悪をなくしていくのです、最終的には。
悪でもいいんだな、ヘッヘッヘ~という意味ではなく、
悪に反応しないという事です。反応しないなら、あってもカンケーない  って事です。

仏教でハスがよくモチーフにされるのは、そんなハスの生育する性質によるものです。
ハスは、泥の池の中でも、その泥に影響されず、綺麗な水分を吸い上げて、
綺麗な花を咲かせる   という事で、
このような例えとしてモチーフにされるのです。

ですから、あの人は悪い人だからと決め付けて、拒否したり阻害したりするという態度のことでもないのです。

このあたりは実践により、ころあいや程度や、意味がわかってくるものなので、
徹底的に考えすぎないでいくことが大事です。
そして、こういう実践に良いこころの態度の一つは、
クリシュナ神に問い合わせしてみて、
「あいた!やってしもたぁ・・・・・」と、いわゆる   悪、動機の不純さに気付いたなら、
それをたたいたり、抑制したり、切り離そうという努力ではなく、
やってしもたーって内容を、しっかり受け容れ、笑って反省する こころの態度です。

私って、可笑しい♪    なかなか、可愛い失敗するじゃない。よっしゃー、
じゃー、今度は気をつけてみるわ
と、そのことを成長の過程として、「失敗」として終らせたり決め付けたりしないこころの態度です。

これに気をつけていれば、ここからも、悠々と楽しく
クリシュナ神の天蓋の中を覗きつづける作業をつづけられます。

じゃぁ、どういう事で、その動機を調べたりしたらいいのだろう?
基準は?

自分の基準。   私たちの人生のシナリオはそれぞれ違うので、
私にとっては不正解の事が、あの人にとっては正解の事もあるのです。
だから、絶対に私的には許せないのに!   という事でも、あの人は、のうのうとしているのですよ。
そうそう、そういう事なんです
大丈夫、あの人のシナリオなんだから。あの人のシナリオ的に不正解なら、
それは、あの人にだけわかるクリシュナ神からの、チョイとした「気付けよ」という事が
人生におこるからです。

実は、ヨーガ的には、おおいなるものは、そんな事はしません。
あまりに10頭の馬にひきづられて疲れ果てたり、10頭の馬が、あちこちに暴れまわり、
頭をうちつけ続けたら、御者も自ら気付くという事です。

それは、クリシュナ神が気付かせてくれるというよりは、
我々は本来、クリシュナ神が居るという事自体、その機能を持っているという事だからです。

ですから、自分の人生のシナリオの中で、自分の基準をもとにして、
まずは、「注意しましょう」という目標と「推奨しましょう」という目標の二つに
照らし合わせては、自分の状態を調べていくのです。
自分を基準にして   といっても、それぞれ違うのですから、他のシナリオも尊重する事を
忘れずに。
自分を基準にするというのは、自分の好きなように、好き勝手にという意味ではなく、
自分にしかわからない感性は、自分で感じましょうっていう意味の方が近いと思います。

「注意しましょう!」という目標が、
インナー・ムーブの「こころのヨガ」のところで出てきていました「ヤマ」にあたります。
・ヤマ(禁戒) - やってはいけないことを守る。
暴力をふるわない・嘘をつかない・盗みをしない・貪らない・貞潔

「推奨しましょう!」という目標が
「ニヤマ」にあたります。
・ニヤマ(勧戒) - 推奨される実践するべきことをする。清浄・知足・苦行・学誦・神霊への帰入 (本来の自分への)

などと照らし合わせたり、それがよりできるように推奨目標をしていくことです。

時々説明いたしますように、ヤマにおける非暴力などは、
私は暴力なんて振るわないわ! と思うし、ニヤマの苦行って何よ?嫌やって・・・しょうじき・・・・

というようなものではありません。
禁戒は、実際に誰をなぐったりしていなくても、言葉で暴力はふるっていないかな?
思い、こころの中で人を攻撃していないかな? という質にすすめていければ、
すすめられるほど、御者は、馬よりにひいき的に存在せずに、クリシュナ神よりに
存在していけるのです。

勧戒も、苦行と言われるのは、たゆまずゆく  という事です。
たゆまずというのも、必死こいてゆく   というより、いつまでもこぎ続けられる舟の櫂の動きように
自分の身と共に。そして、気がむけば、チャレンジです。
やりたくもない事をやっていても苦行にはならないかもしれません。
チャレンジが楽しくて苦行をする時、はじめてその目的はかなっていくのだと言えるでしょう。

ヒマラヤのヨーガ行者には苦行と言う言葉は似合いますが、誰がイヤイヤ
山に入っていくのでしょう?誰が頼んでもいないのに、連れていかれるものでしょうか?
自らが、チャレンジを自主的にやろうという気持ちを保っているということです。
その状態が彼らの、こぎ続けられる舟の櫂の動きになっているからです。

バランスを崩さずに、
調べて暮らしてみましょう。

あなたのクリシュナ神を天蓋の中に、覗いてみましょうよ








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