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ヒーリング・スペース・アバヤでは、ヨーガ、バッチフラワー・レメディ、アーユルヴェーダ・セラピー、サイコセラピーを行っております。

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Author:アバヤ
ヒーリング・スペース・アバヤへようこそ!
ヒーリング・スペース・アバヤでは、神戸、尼崎、伊丹で、
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★インド中央政府公認ヨーガ・セラピスト                   ★インド中央政府公認ヨーガ教師            ★日本ヨーガ療法学会ヨーガ療      法士                 ★NPO法人国際ヨガ協会 教育本部師範代               ★NPO法人国際ヨガ協会北京都支部摩耶学園学園長        ★バッチフラワーレメディ・セラピスト                   ★バッチ国際登録プラクティショナー                    ★アーユルヴェーダ・セラピスト

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最近、いい感じで、自分のこころの歪みの部分が出てきてくれる。

こころの歪み??? そんなのあってはいけない
と思っている人は、捉え方を変えてみてください。
それは、誰にでもあることです。でも、観ないようにして生きていったりして、
自分では、なぜか原因のわからない行動、言動になっていたり、
原因のわからない不安になっていたり、自分の素直なしあわせへの壁になっていたり
するものの原因です。(意思鞘のアンバランス)

かといって、絶対にみつけだして徹底的にたたくような気持ちは持たないことなのです。

例えばヨーガでは、このようなところを
自力で自主的に、観る練習などもできます。

人に見せられたり、ちょうど受け容れられる時期でもないのに、無理やり引き出されたり
するもものでないので、ヨーガの方法は、
痛快なくらい、解放に向っていったりします。
自分の内側に、全て整っている   という事をヨーガは知っているからです。

ただ、私たちの内側には全て整っているからと言って、
まだ統制されていない状態で、好き勝手にすると、
手や足や目や耳や全てがバラバラに動いて、バラバラに好き勝手に別のものを欲して
四方八方に意識を散乱させているようなものなのです。

ヨーガの智慧は、それらを一つに総ていく方法を持っています。

強制でも抑圧でもない方法で、気持ちよく、総ていくのです。
いいなりでもなければ、依存でもありません。


菅野美穂さんのヨーガ旅をご覧になって、伝統のヨーガへの
チラリとした一面をご覧になって、なんだか憧れを持たれた方、
そのこころの  胸の    かすかなキュンとする気持ちを大切に育ててくださいね。
そして、その中で、菅野美穂さんが駅で購入されていたのが
『バガヴァット・ギータ』でしたね。
ヨーガの真髄の物語。

この中でアルジュナという主人公の一人は、「私たち」を表しています。
アルジュナは、馬車に乗っています。10頭の馬によって動く馬車です。
そのような状態の意識や身体や魂の関係性で私たちは存在しています。

この10頭は、五つの行動器官と、五つの感覚器官を表しています。

そして、その馬には手綱があります。
それを持っているのがアルジュナ(私たち)です。

さきほど申し上げたように、手綱をにぎって統べられなければ、
手や足の行動器官は、好き勝手に行きたいところ、好き勝手にやりたい事をやり、
目や耳や口などの感覚器官は、
あれを観たい、あれ聞きたい、あれ食べたいと、これまたバラバラに好き勝手にします。

私たちが何の訓練もしなければ、この状態だという事です。

「手綱をにぎれ」
これがヨーガではよく言われる言葉です。
5つの行動器官と5つの感覚器官には、それぞれ手綱がついている事に、まず気付く事が大事です。
統べる事ができるのだという事実をです。統べる方法としてヨーガがあるという事実をです。
しかし、統べるには、智慧が必要なのです。

私たちは、統べられるという事実にも、普通は気付かないからですから、一体、どうしたら統べられるのでしょうか?

ここで私たちは、その馬車の御者、アルジュナである私たちの後ろには、クリシュナ神が乗っているという事実に気付くことが統べられる理由なのです。
アルジュナは御者の場所に座っています。後ろの天蓋の中にはクリシュナ神が常にいます。


御者は、手足や口や耳や目のそれぞれにやりたいこと、
行きたいところ、したい事のいう事を聞いていたらいいのでしょうか?
5つの行動器官と5つの感覚器官は、それぞれに主張があるでしょう。
10頭の馬は、あっちだこっちだと   ヒヒーン! ヒヒーン!と四方八方に引っ張りあって暴れるだけで、方向性の定まらないまま放射線状に引っ張り合う馬の馬車自体は、
どちらの方向にも動きはしません。

しかも、10頭の馬同士はひっぱりあっているようなものですから、
10頭の馬はヘトヘトになるでしょう。エネルギーの膨大な消耗です。
私たちは毎日、こんなエネルギーの消耗をしているだけなのだよと、ヨーガはやさしく語りかけます。

御者よ、しっかりしろよ!    あなたは、こう声をかけたくなるでしょう?
それが私たちなのです・・・・・・あぁ、私よ、しっかりしろよ・・・・・・・

私たちは、10頭の馬の好き勝手な言い分を聴いてやる事では手綱は握れない   という事です。
後ろのクリシュナ神に問い、馬の手綱をしっかりと握れ!
というのが、ヨーガであり、バガヴァット・ギータのまず示しているところです。

このクリシュナ神が  ヨーガの智慧、私たちの智慧を表しています。
そんなクリシュナ神、私の馬車には乗ってへんでぇ?  と思う方、それは違います

あなたは、後ろの天蓋を覗いたことがありますか?
10頭の馬の言い分ばかりを聞いては、あれがない、これが足りないと
今までの人生を送ってきてはいませんか?  
私は、時々はたと気づきます。あぁ・・・・・・馬にひっぱられているわぁ・・・・・と

覗いてみるのです。
クリシュナ神は、あなたの馬車に乗っている事がわかりはじめます。

でも、御者も慣れなければ、ある時にはクリシュナ神に聞きながら、
手綱を握り、10頭の馬を統べられるのですが、
自分にとって強烈な力の湧く欲にかられた馬が、急に強く走り出したら、
御者である私たちは、クリシュナ神や後ろの天蓋の事など忘れて、
その馬に、他の馬と、御者も、あれよあれよと言う間に引っ張られてしまうのです。

そして、その馬は、自分の欲をかなえられる場所に行き、ほんの瞬間満足を得ます。
しかし、それが叶えられた途端に、また渇きを覚えます。
この満足をもっと得たい!とまた、別の欲望に駆られていくのです。

欲望などというと、多くの方は、私はそれほど欲望はありませんとおっしゃいます。
ヨーガで言うところの欲望とは、そういう、強すぎる欲望というよりも、
もっと、微細な馬の動きにまで注意が可能になり、
その動きが手綱に伝わってくるだろう?
少しずつ、そんなにひっぱられるようなものではなく、馬の意思を手綱に感じては、
統べるのですよ   と言っているのです。

天才騎手、武豊の事を弟の幸四郎は、「あいつは馬なんですよ」と言っていたのを聞いたことがある。
申し上げておきますが、幸四郎は名騎手です。
しかし、どうあがいても、兄の豊にはかなわないと言って、なんであんなに強いのかという事で、
「あいつは馬なんですよ」  と、落ちをつけたのでした。

兄、武豊は、それほどに馬の事がわかると。
きっと幸四郎にも素晴らしくわかっているはずです、名騎手ですから。
しかし、もっとあんなにすごい、強い豊は、馬だからなんだ としか例えようもないくらいに
賞賛したのです。


誰でも天才 武豊になれます。
これがヨーガなのです。
天才だからなんだよと言ってしまえば、そこまで。
誰かを目指すことはヨーガではない、あなたがあなたを目指すのであれば、
あなたがあなたの天才になれるのであれば、

ヨーガの道において、なんであの人はあんなに馬の事がよくわかるのですか?
と問われた最後の答えは、
「あの人は神なんですよ」に匹敵するわけです。

ここで、ご注意申し上げておきたいのは、ヨーガにおける「神」というのは、
あらゆる偶像でも、人格でも、またあらゆる特定のなにものかではありません。
私たちの心臓を動かしているのは、なに? 私たちを存在させている力はなに?
この答えにあたる「おおいなるもの」    です。

さぁて、私にもわかりません。それは、武豊のようになるまでは。

そして、ここでもう一つ大事な点が、武豊は、馬をよく知っているが、
決して馬の言いなりにはなっているから強いのではないということです。
御者である武豊は、馬の行きたいところに行っているのではなく、
武豊の内にある、御者の後ろのクリシュナ神のままに、手綱を握っているのだということです。

もう一つ、誤解がないように申し上げると、確かに、一つの世界で名を馳せるような
この方は、ヨーガの道にも通じる方だと思いますが、
武豊が、ヨーガのそれであるという意味ではありません。悪しからず


難しいかもしれないけれど、案外にやりはじめると面白くてやめられないのです。
少しずつ上手に手綱を握れるようになれば、
多くの恩寵があるのですもの、やめられない
面白くつづけられるという意味です。


この10頭の馬を統べるには、
10頭の馬がいることをまず知ることです。体感でです。
そのために本来ヨーガがあるのです。

身体を意識化する、呼吸を意識化する、感情を意識化する、
自分の行動のクセを意識化する

それが、10頭の馬を   体感していく事につながっていくのです。



もう、みなさんは、出発しているのです





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