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2月22日(金)(ナイトリフレッシュ・ヨガ クラス)

~45度が・・・・・・~



本日は、
背骨の意識

中心の意識

プラーナの通り道(ナーディ)の意識    を


意識化する練習をしました。


プラーナの駅のような場所(機能)である、チャクラの位置を

意識化し、プラーナをスムーズに流すような感覚を持つ・・・・・・



みなさんが、そのあと、
気持ちいい
すっとする
通りがいい

という感覚をもたれましたね。


そうして、その背骨や中心という意識を持ちながら、やらないと
自分を危険にしてしまうアーサナだってあるのですよ。

最近は、アーサナの本や、DVDなどもありますが、
なぜなのか、
どこを気をつけるのか、
どう意識するのか、
どこを意識するのか、

などを、指導者に教わることが必須なのです、もともと。


それをふまえて

スキのポーズにむかっての準備をはじめていきました。


これだって、

さぁみんな、やってみよー!!

なんて、


いかんいかん!    と丁寧にできた人ほど、思っていただけたことでしょう・・・


まず、仰向けに寝て、

息をいれて、吐きながら45度まで脚をあげてキープ!

そして、そのキープのまま息を入れて、  そこからまた吐きながら90度へ~


と、この45度のキープが
何よりきつく感じる。

そして、背中、背骨の柔軟性(といっても、これは、身体が柔らかいとか固いという
意味でだけなのではないですよ、ご安心くださいね。)
がないと、足が後ろにしなやかに、楽に行ってくれないやん?!

というのを味わってくださった方もいらっしゃいました。


そうでしょう?

45度がいけたら、   多分・・・・私・・・・いけるわ!!

そう思われた方もいらっしゃいましたが、ほんとですねよねぇ。


そして、強くテンションかけた時にこそ、いつもの歪みが出やすいという事も、
おわかりいただけたでしょうか?

歪みが出るかたは、そのまま進むと、中心のかかるべきところに力がかからず、
より歪む方向に自分をもっていってしまうので、
気をつけましょう。
そして、充分に、危険度が少なくなってから、ゆうゆうと先に進みましょうね

ですから、上手とか下手というのは、アーサナにはないと思ってください。

自分の修正でもありますから、
自分がより良くなるなるのに、最善の方法をとる

という事を、しっかりと理解して、自分との対話を楽しんでくださいね。



そして、ヨーガの段階の説明をしていた時に、
『禁戒』=『ヤマ』の内容をすこしお話させて頂いていた方が、

こんなの~
孔子だって、60にしてっていうのにぃ~

とおっしゃっていましたねぇ


そんな事、できるわけないじゃん!!!普通に生きててぇ!


っていう感じ、     わかります


多分、孔子っておっしゃったと思うのよ?

それは、以下のように孔子が言った事。

『吾れ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲するところに従って、矩(のり)を踰(こ)えず。』
 
 私は十五歳で学問を志し、三十歳で一本立ちした。四十歳であれこれと迷うことがなくなり、五十歳になると天命(この世に生まれた自らの役割)を自覚し、自分の限界も自覚した。そして六十歳になったとき、素直に人の言葉を聞けるようになった。七十歳になると、自分の思い通りにふるまっても道に外れることはなくなった。


これは、まさにヨーガです。

しかし、孔子は、15歳から学びはじめたからこそ、
はじめて60歳にして、素直に受け入れられるようになり、
15歳から学びはじめたからこそ、70歳で、こころのいらぬ癖も智慧により
調和したゆえ、もう、細心の注意を払うことなくとも、道からはずれることがなくなった

という事なのですね。


孔子でさえも60歳にならないと、成らなかったからといって、
今、私たちが注意して自己を見つめる事をしないままであれば、

60歳にして成ることもまた    ないというのが、また道なのです。



今できないことを責めることも、嘆く必要はないですが、
(が、責めたり、嘆いたり、ヘコんだり、すねたりもしつつ

道を歩み始める事の大事さ

という意味とご理解ください。


マラソンも、あんなに遠いのにとスタートしなければ、ゴールする事も決してないですよね?



そして、私は思うのです。

人によってゴールは違うのだろうと。

人の掲げた理想、
絵に描いたような理想のようなゴールに、私のようなものが行けるとは限らない・・・
でも、死ぬまでに、行けるだけ行こう

自分の人生で、今回生きている中で、行ける分だけは行こう!

という思いになり、ふんどしをしめなおした というような時期がありました。



それまでは、絵に描いたような理想を歩まねばならない    というような
焦り、高慢さがあったのですよ。


立派な言葉をこうして残した孔子さえも、自分は聖人ではないと生前言っていたそうです。
後世、孔子を聖人であって欲しい人々が聖人化したのですって。

でも、


『過ちを改めざるこれを過ちという。』
 
 (過ち自体が過ちなのではなく、過ちをおかしても自覚なく、
          改めようとしないことこそが、真の過ちというものなのだ。)


などと言った孔子は、
生きた、体温の感じられる聖人ですよねぇ?

良い材料を提示くださったTさん、どうもありがとう





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