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Author:アバヤ
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★インド中央政府公認ヨーガ・セラピスト                   ★インド中央政府公認ヨーガ教師            ★日本ヨーガ療法学会ヨーガ療      法士                 ★NPO法人国際ヨガ協会 教育本部師範代               ★NPO法人国際ヨガ協会北京都支部摩耶学園学園長        ★バッチフラワーレメディ・セラピスト                   ★バッチ国際登録プラクティショナー                    ★アーユルヴェーダ・セラピスト

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9月28日(ナイトリフレッシュ・ヨガ)
~弓のポーズ~



本日は、腰痛というTさんでした。

腰痛に良い体に修正、Tさんの今の状態に合わせたほぐしをしていただいてみました。

Tさんもヨガは、慣れてこられていらっしゃる方ですから、
体が誤解をしていて、うまく意識できない動きが途中あっても、
こうか?この感じか?と
うまく自分の体と対話されていました。

ピカ!っとわかられた瞬間からは、こりゃ、いつもと違うという感覚で
ほぐしていらっしゃいました。


そして、腰痛のないチームは、最後に弓のポーズをやってみましたね。

それそれの人に合う、一歩というので、自分の体を感じてみましたね。

膝が痛くなることがあるんですよねぇ。
私は、二年前の先生合宿の時だったかなぁ、全く膝があがらなくなったことがあったのですよ。

忙しくて、疲れていた時だったように思います。積み重なったものは、
すい系の経絡を滞らせていたようでした。

しかーし、今の方が忙しいのですよ?

痛いからって放っておいたら、そのままになっちゃうのです。
少しずつ、少しずつ、傷めないように、働きかけつづけると、また復活していくのです!!


ほんと、私たちの力はすごいですね。

また、少しずつ、自分をみつめながらトライしたり、
ほぐしたりしましょうね





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9月24日(セラピー・ヨーガ クラス)

~丁寧にヨーガ~




今日は、丁寧に意識して体を取り戻しました。
そして、アヌサンダーナは、ちょっと、落ち着いて深くできたようでしたね。


自分をみつめる、自分を感じる
特に、このクラスでは、本当の感情、本当の反応、素直な自分を
自覚する、

気づく

ことに特に重点も置いていますから、
みなさん、本当にグングン自分のペースで
「自分」に向かれています。


心療内科に通っていた方が、
このクラスに来られてから、一度も薬を飲まないですごせるようになっていた事、


自分に起こることへの捉え方が、全く違ってきていたことを
あらためて気付いて下さっていて、


それをうかがった私も、深く嬉しく、深く感謝でした。


ありがとう・・・・・・・









9月21日(ナイトリフレッシュ・ヨガ クラス)

~道具を使わず~




インナー・ムーブに掲載されていた「ほぐし」は、
チューブを使っていましたね。


道具は有効に使えるもの

でも、本来ヨーガには道具はいらないものでもある。

道具を上手に使うのもまた良しですが、
無いときゃー、その道具によってやりたかった事を、
体ひとつでやっちゃいましょう


でしたね。


私たちには、ウェイトも実はいらない。

だって、空気の重さってすんごいですから。

そして、チューブは、私たちの筋肉がやりますから。



で・も・ね

体がうまく使えないとき、年配の方、自分の体の弱いところ

なんかには、筋肉の機能を補いながらできるという賢い使い方の面もある。

チューブ、機会があったら、買ってみてもいいですよ。

自転車のチューブでいいですよ。


ビリーのチューブじゃなくても大丈夫よ(ハハハ






出張アーユルヴェーダセラピー


明日、でかけてきます。

さぁて、また、しあわせふんわりになっていただけるかなぁ。


最初は、しあわせふんわりだけ感じていただければいい。

で・も・ね


実際にオイルの薬効が内側に浸透していきますから、
ある程度のサイクルでつづけられれば、
まじめに、変化大です。



また、わたしもしあわせになるのでしょうねぇ。
9月18日(ヨガ式リラックス)


データ計測~自己発見



みなさん、計測しましたねぇ。
計測に長くかかって、ヨーガ実習があんまりできなかったけれど、

それでも、みなさん、自分のデータ変化にびっくりでしょ?


みなさんの、人間の力ってすごいでしょー。

あれが、人間の内なる力であり、
あれが、ヨーガの力であり

ですねぇ。


私が、ふだんよく言う言葉、
他のこともやってもいいじゃないですか。ヨガからそれを観ると、感じると、
普通より、よりそれがわかるし、

そこからヨガを観ると、余計にヨガもよくわかる。


ヨガをベースにして、何かをしたり、生きたり、楽しんだり、仕事をしたり

本当に、変わっていくんですよ。


私は、ヨガをベースにして、本当に仕事をできるようになったとき、
それまでの、仕事に対する恐れ、社会に対する恐れや不安も、仕事での人間関係から
評価から、様々な面まで、クリアになることを経験して、
驚きました。

ヨガをベースにすれば、人知れず社会貢献だってできるなぁと実感してしまったり。


YG検査は、特に面白かったのではないでしょうか?

取り違えたら、すごく自分から離れそうな点もあったでしょう?

そのあたりは、あくまでもパーソナリティーをわかって、まるごと
そして、一人一人ケアのヨガなら、できることなのですよ。


私も公の時にやると、まるで公の私が表現されていくのにかんしんしてしまいます。

ヨガのコントロール力がこんなところにも生かされるのだなぁと。

でもね、それだけじゃあね。自分をもっと自覚して、自分らしく変化するには、
そうじゃない、本当の自分をあぶりだしてあげないと


そう思って、全く違うときにやってみたら、案外、自分らしく
適度にアンバランスでちゃんと出てきてね、この検査の信憑性にびっくりしてたのでした。


毎回はやりませんけど、

半年くらいしたら、またやりましょうね。

ご希望なら、その半分くらいでまたやりましょうか?

来週は、自己健康判定ができるのをやりましょうね。


自分がどのように自分の健康度について捉えているかがでてきますよ。

また、邪念がでないようにする練習もできるし、

えぇー?私ってこんな風に思っていたのかーっていうのも
出てくるかもしれませんね。

ちなみに、私の自己健康判定は、
今日お話した、インド前の自己決定の時は、ちゃんと、揺れてでましたよ。


そして、変化だけがよしでもないって事も、わかっていてくださいね。

結果として変化するかしないか   だけでなく、
同じように反応していたとしても、自分の中で自覚がすすんで、楽になっていたり、
気付きがあるとしたら、すでに、


あなたの内側では、大いに変化があったということなのですから




9月14日(ナイトリフレッシュ・ヨーガ)


~アヌサンダーナ~



今日は、インナー・ムーブのこころのヨーガにあった、レメディのワイルドローズという感情について、

アヌサンダーナしました。

内観。


探ってみて、探ってみて、

やっぱりあったという人も、なかったという人もいらっしゃいましたね。


少しわかりにくい、題材だったかもしれません。


また、別のアヌサンダーナをしてみましょう!

その時には、すぐにはかんじられないかもしれませんが、

これ、かなり感情もわかってくるし、
普段の自分知らないところで変化してくるんですよぉ。


それから、前後開脚もやってみましたね。

Nさん、「何させんのー」なんておっしゃってましたねぇ。


それぞれに合わせてやると、無理なく働きかけられますから、
どうぞ、どうぞ、無理しないって事をお約束。


どんなアーサナも、段階にわければ、誰にでも一歩ずつできますよ。


それから、開脚、

自分で思っているより、ずっといけてる自分を発見しましたね。


意識次第で、体はついてきます。
ってことは、こころ次第。こころのコントロールで体をコントロールできていたって
事なんですよ、みなさん






昨日は、友達からのオファーで、
アーユルヴェーダのヘッドセラピー出張した。

オイル、音楽、アーユルヴェーディック・ティーも持参。


 試してみたら、ほんとうにわかる。


マッサージじゃーないってこと。

オイルの薬効を深く浸透させていくことに意義がある。


マッサージはするわけですが、薬効も手伝って、
もう、うっとりのお客様


そして、終わってからも

だんだん、だんだん、もーーーーっと、ふんわりゆるんでくるのを感じていらっしゃいました。



私も、しあわせな気持ちになりました。

セラピーするのは、しあわせ。


昨日は、仕事で少し失敗した。
失敗というより、人の失敗のフォローを、ほんの最後のひとかけら
フォローしきれていなかったことで、
ヘコんだ。

内観瞑想をして、自分の感性の至らなかった点を観た。

うぅぅぅぅん。そこの感性は、今、鈍くなってて、自信が無いと感じた。

毎日、毎日、呪文のように自分に言い聞かせ、
その感性に再び回路をつけるしかないと思った。

なぜなら、それは、最初から一度もなかったものではなく、
鈍くなっていた点だったから。


この呪文を唱える


というと、どうかと思いますが、
言い聞かせるでもいいし、祈りでもいい、


その「誓い」のエネルギーというのは、実に素晴らしい効力があることをお伝えしたい。


これは、ヨーガの手法の一つでもあるのでした。


今朝もしっかり何度かは、確認して自分に言い聞かせた。

周りの人にも頼んだ。

この点は、鈍くなっているから、気づいたら注意してほしいと。

失敗は、隠しても意味がない、逃げても意味が無い。
反省して超えるしかない。

だから、隠す努力でなく、逃げる努力でなく、

クリアする努力のみする。






9月11日  ヨガ式リラックスクラス

又割り~???



今日は、前後開脚やってみましたね。

いきなり~???と思われたかもしれない、今日から新しい仲間になって下さったKさん


又割りは、もう、みんなだんだんできているのですよ?
又裂けはいけませんが・・・・・


脚の付け根注目で、最近やってたりしますが、前後開脚とくると、
また違うでしょぉ?

違うところに、効いてる・・・ここ、使ったことないとこじゃないの・・・・・
みたいな反応が体にきたりして、

それにともなって全身まて゜緊張することないのに、緊張させる自分を発見したりね。


そして、思わぬところが楽になっているのを発見した人もいらっしゃいましたねぇ。

ねぇ

ここが不調・・・と思っている原因って、どこからきているかわからないものでしょ
そして、あちこちケアしてたら、全体でよくなってくんだなぁって、
つくづく、感じますよね。


また、喘息のお話もしましたね。

反対の意識をもつの~???という話でしたが
それぞれ人に起こっていることには、原因があります。

症状を見るのが現代医学。
なぜそうなるのかまで捉えられるのが伝承医学。

しかも


ヨーガにおけるセラピーでは、
こころの作用まるごとなので、
そうなると、人、ひとりひとりによって違うわけです。

私のやらせていただいているクラスでは、
他のクラスもそうですが、
だから、一人一人の個人ケアシステムなわけなんです。


みんなで同じことやっているようにしてて、
みーんなのそれぞれ観・て・ま・す


でも、観ているだけではおいつかないこともあると思うんですよ・・・・
だから、みなさんの方から、どんどん教えてください


おねがいいたします



あらたしいインナー・ムーブは、今度はどうかなー。
お楽しみに。






ダライ・ラマに恋して

という本を、今日読み終わった。

この本は、母に借りた本。

母は、あの世まで持っていくと言いました。こんな発言をした事はありません。
それほどまでに思い入れた本は、なかなか無いからなのでしょう。

読み方によれば、旅本なのですが、
著者である、たかの てるこ さんが、失恋をきっかけに、自分を省みたり
苦しさを味わい、救いを求めていたときに、ダライ・ラマという存在を本で触れ、
ダライ・ラマに会いたくて会いたくて、チベットに旅していったドキュメンタリーなのですが、


その中には、チベット仏教徒である町の人々とふれあいがあり、
日常の中に息づいたチベット仏教が記されていたからに違いありません。

聖典でスピリチュアリティー(最近流行のスピリチュアルではなく、本当の意味での
自己の真の存在であるスピリチュアリティー)に触れようとして
逆に遠く感じる人もいるのです。

母は、この本で、スピリチュアリティーに触れ、
仏典の教えに、普段の言葉で触れ、いくつもプチ悟りを得たのだと思います。


なぜ、この本を読んだのか


それは、娘が、ヒマラヤにとうとう行くからだったのでした。
彼女の娘は、そりゃ何度もインドに行っています。

インドというだけで、母親としてはクラクラするでしょう。
なのに、娘は、連日テレビで、ペストがインドで流行しているというニュースでもちきりだった
最中に、はじめてのインドに旅立ったのです。

娘は、はじめてのインドですから、ツアーに参加したのですが、娘と友人以外はすべて
ペストのニュースの最中ですから、キャンセルになっていたのです。
そのツアーは、二人以上から決行されるものでしたから、娘と友人が行く限り、
没にはならなかった事に、空港についてから気づいたのでした。

死を意識した娘。このゲートをくぐり旅立てば、ペストになって死ぬかもしれない地に行く・・・
やめるなら今だ   しかし、ヘタレな娘は、緊急時に根性を見せることが多く・・・・・・
「どうしよう、どうしようと悩んでいる、この時間がどうなるわけでもない。
行くなら、いっそ、とっととゲートをくぐってしまえ!退路を断てば、行くしかなくなる!
そしたら、覚悟も決まるじゃないか!」

なぜ、そんな覚悟を決めて旅をするのかは、彼女にしかわからないが、
娘はそうして、はじめてのこころのふるさとに旅たったのでした。


そんなはじまりから、
また、インド?
また、インド?

と、母は、何度も娘をインドに送り出さねばなりませんでした。

もう、最後の方は、
「うちの子なんか、もっと汚いところにいつも行っとるでー」

「うちの子なんか、そんなええホテルになんか泊まらへんよ。そこらのホテルや
寺院におるよ」

「何怖がって?うちの子なんか、もっとすごいとこ行ってるでぇ」


そんな事を言って、会社をやめてから、自分を探すとインドに旅立ち、
ショックを受けて帰ってきた娘のいとこに語って励ましていたくらいだった。

いとこは、インドでインドの人々とその生活を観て、
「再び、ちゃんと働こう。お金が必要だ」と思って帰ってきたそうな。

母は、
「インドという国にいって、そんな風に思う人もいるのやなぁ・・・それぞれやなぁ・・・
でも、それもその人の気づきってものなのやろな。インドの見せた姿・・・」
と言っていたが。

母の娘は
インドの地とインドの人々を観て、
これでも人は生きていけるんだ・・・なんてダイナミックなんだろう・・・
なんて、すばらしいんだろう・・・これが生きる本質につながる・・・
なんて奥深いんだろう      と思ったものだし、母も、それに共感もできた。


しかし、娘は、とうとうヒマラヤに行くと言った。
しかも、飛行機にパニック発作的な症状が出るかもしれなくて怖いからと言い出して
海外にも行けていなかった数年なのに、いきなり。

ヨーガの得度に行くという。
それは、母は、良いと思った。この子は、そういう道の子なのだと、母は、つくづく思い至っていたからだ。
それは、この子の人生には欠かせないのだろうと。


しかし、ヒマラヤへの道のりを母は心配した。

母は、娘の送って来た、日程表を観たのだ。
ある町からある町へ、一日かけて、車で行くらしい、
また、次の日も、ある町からある町へ一日かけて車で移動するらしい・・・

その距離を父と計算したらしい。
そうすると、どれくらいのスピードで進むのかを。

日本では考えられないくらいに、時間をかけての移動・・・・・・・ってことは、
こんなスピードで行かなくてはならないくらいに、危険ながけっぷちなどの道のりを行くに違いない!!!


今度こそは、娘は死んで帰ってくるかもしれない。


今度だけは、そう思ったと、帰国してから母は言っていた。


母は、娘の行く場所を感じ取ろうとした。

ヒマラヤと言っても、娘の行くところは、すぐ先はチベットだとか言っていた。
チベット・・・・・ダライ・ラマのいるところなら、
何か雰囲気を感じ取れるんじゃないか

そう、本屋さんでこの本を見つけたときに、運命的な閃きで手にとったのだろう。


母は、実際には知らなかったが、
ダライ・ラマが現在亡命して滞在されているインドのダラムサラと、娘の行ったマナリは途中の町から枝分かれして、ちょうど同じ距離を進んだくらいの位置関係だったのです。

娘の帰国後、母は
良い本に出会ったことを話し、ダライ・ラマの魅力についても語った。
「みほ、ダライ・ラマにお会いできるというのは、本当に稀なことで、
ほんとうに功徳、縁深いことなんやって」

母は娘に熱く語った。


「おかあちゃん、私、ダライ・ラマに会ったことあるよ。講演でやけど」


「講演だろうが、何だろうが、その縁に恵まれるということが、稀で、すばらしい縁、すばらしい功徳なんやんか!あんた、ほんまにすばらしい縁やなぁ」


「私も、そう思った。講演の内容は、本でも読めるし、仏教に触れていて、実践していれば、
あまり難しくない内容ではあった。誰にでもわかるような話をされた。
私は、講演が稀なのではなくて、その講演の最後に合掌をされて、
そこにいる人々を観まわされたときに、この人は!!!!!
と鳥肌がだったんや。

あんな合掌をする人を私は知らない。

あの合掌は、ただ、手を合わせているのでも、挨拶にされているのでもなかった。
人々のうちに、本当に一人一人、また生きとし生けるすべての中に、実際に仏を実感している
その、仏に対する合掌やったんや。

ダライ・ラマともあろうお人からの合掌が、逆にこちらの内なる存在を崇め、真に敬う合掌だったのを、それは、体験的に
瞬間的に悟りがあって、驚きと感動で、鳥肌がたって、涙があふれた。
あんな合掌をできる人を、私はこれから先にも出会えないだろうと思う。
あの合掌が、すべての悟りやった」


「そうかぁ、そうかぁ。」



そんな話をした。



娘は、この本の中で、
母がどの部分に感動したのか、母のはさんでいた二枚のはがきで
推察することができた。


死に対するチベット仏教徒の思いや思想が語られているところと、

起こりもしないことに思い煩うより、死を恐れるより、その過程を味わい、
今をしっかり感謝して生きることだという意味のダライ・ラマの言葉のところだった。

母は、年齢を重ねてきて、
死を意識している。

死ぬとはどういう事だろう、いったいどうなることなのだろう
いったいどこにいくことなのだろう

死を覚えていない者にとって、死は恐怖でもある。

母は、日々の暮らしの中で、死を想うのだ。
だから、死に対して、単純に明快に語られた、その二箇所は、彼女のこころに響いたのに違いない。


娘も死を想いながら日々暮らしている。
それは、ヨーガの、また仏道の生き方なのかもしれない。

死をどのように迎えるか   は、どのように生きるかの最大の道しるべだからだ。
よく、また、かなりしばしば、娘は死を意識する。

それは、死にたいだとか、死ぬんじゃないだろうかという意味での死ではない。

死を死とは何かを悟ることこそ、
この世で一番のダイナミックな生き方の力でもあると、そのことだけは悟っているからでした。

死とは、生であり、
死とは、再生であり。
死とは、永遠の生でもあり。

それらを深くとはまだとても言えないが、そう想うほどには悟れたほど、娘は実は、生きるために、
苦しみぬいた経験があったからかもしれない。
それゆえ、娘は、再び生きた、再び立ったのだろう。



娘のこころに響いたところも多い本だった。


無執着とは、大事にしないことではなく、
ただ、何も何事も永遠に続くものではないと、この世を悟り、
その時々、その全てを大事にすることだ   という言葉は、

何度も何度もわかったつもりでいた無執着の、勘違いしている箇所をカチっと修正してくれた。


生きとし生けるもの全てを大事にすること


たった、あたりまえの、毎日祈っていたはずのこのことも、

生きとしいけるものとは、己も含まれていることを悟らせた。
己をも、その生きとし生けるものの一として真の己を尊ぶことを実践できていずして、
この教えを生きているとは言えなかったんだ・・・・・・

ということを悟らせた。
今までの自分が、他者にむき、己も含めて一として、尊べていず、自分をないがしろにしたり、
自分の命に深く感謝していなかったことに気づいた。


そして、最後に、
ダライ・ラマとたかの てるこさんが会われた時の、ダライ・ラマの言葉
生きるとは、存在を許されることでもあり・・・

という言葉。


生きるとは、何かをなさねばならぬとか、なせぬなら生きている価値がないとか、
生きる意味だとか、
そんなことを想い、己を卑下しては、罪の意識にさいなまれる事も、時にある娘は、

生きるとは、存在すること


という言葉に、深く癒され、涙した。

ヨーガでは、今存在していることを自覚できるということは、永遠に存在するということ。
ヨーガにおいて、死とは、肉体という衣をぬぐことであり、
我々の意識は、生まれたこともなく、よって死ぬこともないという考え方をしている。

常に在りつづけているだけ

常に在りつづけてきたし、これからも在りつづける。


だから、今、「私」が存在していることを感じられたとしたら、
それこそが、永遠の命の証なのだ。

娘は、10年前に、あるとんでもない自己否定の体験から、存在を瞑想しつづけ、
ある日、私が在るという事を悟ったことがあった。

そして、私がそれを深くわかろうがわかるまいが、
今こうして、自分が在ることを自覚できているということは、
私は、ずっと在ったし、今後も在りつづけるのだ

そして、それは、大いなるものの作用であるとしたならば、
私が存在することは、大いなるものの意思そのものであり、大いなるものの愛(愛情ではない)によるものであり、
私は、見捨てられるものではないのだということを。

思えば、そう瞑想したほどの苦だったのだ・・・

よく生きていたなぁ。

しかし、今、こうして在るためのものなら、生きて通りきるはずの苦しみだったのかもしれない。
でも、決して簡単ではなかったろう。


存在

その事の悟りが、この本で、また少し悟れた。



未熟。

でも、この未熟とは、なんてしあわせを運ぶものなのだろう。
未熟ゆえ、こうして悟りのしあわせがある。

未熟ゆえ、智慧にふれ感嘆する。


苦しさを知るゆえ、

体の不調をしるゆえ、しあわせを感じることができる。



娘は、この本を読み終わったら、
母に、最高のプレゼントと一緒に、本を返そうと思っていた。

なぜなら母は

「この本だけは返してよ!棺おけに入れてもらいたい本なんやし!」

といきこんでいたので、絶対に返さねばならないと思った。


娘は、ダライ・ラマの写真のハガキを売っている店を知っていた。
娘は、読み終える時、ダライ・ラマが母のもとにも
功徳として届くようにできるだろうと思ったのだった。

その日のための準備に、もうそのハガキは買っていた。



ダライ・ラマの写真は、店には二枚あった。
しかし、もう二枚しかなかった。
娘は、二枚とも買った。



一枚は、母への恵み


なんと、仏の慈悲は深いことか


一枚は、そんな娘にも届くように、用意されてあったに違いない。







2007年9月10日 セラピー・ヨーガクラス

~サイクリック・メディテーションと測定~



今日は、前回にお話していたとおり、自分の体やこころをとらえるヒントとして
「測定」をしました。

 
血圧や心拍数
一分間の呼吸数
止息時間


呼吸は自律神経をととのえるのに、唯一、自己コントロールしていける機能です。


呼吸をずっと意識して、
呼吸が乱れないようにして、普段の呼吸を忘れた生活に切り替わらないように
ずっと体を呼吸ベースにして意識しつづけました。


そうすると、

はじめに測った数値と、明らかに違う数値になりましたねー!!


あきらかに数値がグンとあがったのが、今回は、止息時間でしたね。

止息時間が延びるということは、呼吸が深くできるようになっていたことでもあり
一度の呼吸での機能ガアップしていることでもあり、
呼吸の速度が遅くなっているということでもあります。


呼吸の速度がゆったりしているということは、心の速度が遅くなったということで、


それは

あらゆるストレス状態から開放されることであり、
体の機能がアップする方向であり、しあわせ感にあふれる方向でもあります。


私も一緒に測ってみたのですが、

私は、幼少の頃から、心拍数がかなり多かったのです。
交感神経が優勢というか、危険察知能力みたいな、動物的な機能があるというか・・・・・

それで、私の手足は、ベトベトさんなのよ(爆笑)

まぁ、良い面もありますが、疲れたりもしますよぉ。


そんな私の心拍数、やはり、
特に、ドキドキしているわけでもないのに、80以上でした。


私も一緒にサイクリック・メディテーションしてから測定してみると


な・な・なんと!
60にまでなっているではないですか。

私はまた、ヨーガのセラピーの力量に 個人的に感嘆したのでした。


セラピー・ヨーガ クラスでは、今後、ある程度、この測定をつづけながら
自己を客観的に観ながら、内観をすすめ、
こころ、からだ力をセラピーしてアップしていきたいと思っています。


ご興味のある方は、ぜひぜひ、ご参加くださいませ。


全国でも、ヨーガとフラワー・エッセンスを組み合わせて
セラピー・ヨーガとして、内観力を高めてぐんぐんセラピーしていくクラスは
きっと、ここだけ。

カルチャーさんでも、バッチフラワー自体、ないと言われていました


できるだけ、多くのみなさまのお役にたてるようにしたいですが、

このクラス自体は


少人数クラスなのでした




カルチャーの永久入会金半額キャンペーン中!




みなさま、この機会にぜひ、

ヨガクラスへの入会をお勧めいたします!!



会員のみなさまは、

ぜひ、トータルで磨きがかかる、このヨーガへ、おともだちや

また、体やこころの不調があるのかもしれないと思われる方を

ぜひ、お導きくださいませ。

どうぞ、ご縁をつなげてください。


アバヤに、お手伝いさせてください。



お待ちしております


インナー・ムーブのほぐしとは、また違うほぐしと意識を
もってみていただいてみました。


ネコのポーズを苦しくとめているところ・・・・・

それは、首の自由度のなさでもあり、腕の自由度のなさでもあり・・・・・


そして、脚の付け根の奥のほうの自由度のなさだって・・・・・


ゆーーーーっくり、よーーーーーく、耳を傾けて

体の声を聴きながら


そして、気持ちを傾けて   体の声を聴きながら     でしたね。



そして、ネコをやってみました。


ネコの3をやってみているうちに、私って、なんやかんや言うている間に、
それでも変化している

という気づき。



そして、そんなところで、あらためてネコ2をやってみると、また更に。



☆ちょーっとネコのポーズが好きになってきた人

☆好きにはなれないけど、少しだけ気持ちいいところが出てきた人

☆相変わらず、しんどいアサナだけど、ちょっと前とは違うんだなぁ、これが



そんな自分を感じましたね。



そして、最初にお話した、命のお話。

みなさん、忘れないで


震災の話、そして、私の死にたいと思った時の話。

生きたい!」


という叫びなんだということ。


そして、息を吐ききってみて・・・・苦しいと感じること自体が、
私たちが

生きろ
と大いなるものに、示されていること。


苦しさは、しあわせを知っているものにしか味わえないもの・・・・・





時々、ヨガのクラスでは、歩き方を丁寧にみつめてみます。

この日のクラスでも、見つめてみましたね。


かかとの着地の大事さ、指先まで床に丁寧について、やわらかく動かすように歩くこと・・・・・
それは、脚全体の活性にもなるし、
滞りやすい、老化のたまりやすいポイントなんかも、流れて流れていきます。


仙骨まわりまで、ちゃんと動くことを感じたりもします。



ヨガをつづけていけばこそ、
途中で、何も新しい発見のないような時期、日なんかと出会います。


なんでもそうではありますが、ある程度わかるまでは、楽しくてしかたがありません。

わかってくると、ちょっと、慣れてきて、ワクワクがなくなったりするのと同じところもあります。


慣れてくる、わかってくるという良い面の反面、

自動化」が起こるのです。


意識が、あたりまえのことには、あまり意識的にはむかなくなるのです。

呼吸なんてそうです。


毎日いつでもしている呼吸は、自動化の最たるものの一つでしょう。


毎日、毎日通っている道・・・・・・・
ある日、ハッと気づく小さな変化・・・・

多分、昨日もおとといもあったもの・・・でも、今気づいた・・・


その途端に、周りすべてがはじめてみるような、
久しぶりに見るような


新しい世界がひろがるような


そんな見方になります。



それと同じように、人にとって避けて生きたいのが、この自動化。


そこをうまく、そして、つまらなくても辛抱して続けてほしいのです。

その先に、必ず   新しい気づきが用意されているからなのです。


そこまで来たからこそ、起こった自動化。だからこそ、そこをすごして超えてほしいのです。



この繰り返しだと覚悟して、ただただ、続けて進んでいただきたいのです。



その先にこそ、見えるものがあるからです。


その先にこそ広がる世界観があるからです。


その先にこそある、あなたが必ずあるからなのです。




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